日別アーカイブ: 2016年4月15日

お店の地震の被害はありませんでした。

昨夜の地震で被災された皆様方にお見舞いを申し上げます。

また、安否確認のメッセージも多数頂きました。ありがとうございました。

昨夜確認したところ、お店は無事でなにひとつ被害がなく、今朝の精米作業でも設備等が綺麗に動いていました。日頃のメンテナンスを心がけておりますので、堆積したホコリやチリ等の心配もなく、安心して通常通り営業できております。

家族のほうも無事です。娘たちはモノが飛んできた場合にどう避けるか練習するような感じで、我が子ながらと呆れると同時に寝かしつけに困った夜でした。

家の家具にはつっかえ棒をしていましたので、その点では非常に安心感がありました。日頃の防災対策の必要性を感じました。

いろいろと状況を確認した後に、理科年表を取り出して地震年表を読んでいたのですが、いろいろと思う節があったので、以下ウィキペディアから転記しておきます。

地震観測網整備(1885年 – 観測所による地震報告開始)
  • 1889年(明治22年)7月28日 熊本地震 – M 6.3、死者20人。
  • 1891年(明治24年)10月28日 濃尾地震M 8.0死者・行方不明者7,273人。根尾谷断層の発生。
  • 1892年(明治25年)12月9日・11日 石川県・富山県で地震 – M 6.4(9日)、弱い津波。死者計2人。
  • 1893年(明治26年)6月4日 色丹島沖地震 – M 7.7、色丹島で2m〜3mの津波。
  • 1894年(明治27年)
    • 3月22日 根室半島沖地震 – M 7.9(Mt 8.2)、死者1人。北海道・東北に津波。
    • 6月20日 明治東京地震 – M 7.0、死者31人。
    • 10月22日 庄内地震 – M 7.0、死者726人。
  • 1895年(明治28年)1月18日 霞ヶ浦付近で地震 – M 7.2、死者6人。
  • 1896年(明治29年)
    • 1月9日 茨城県沖で地震 – M 7.3 [99]
    • 6月15日 明治三陸地震(三陸沖地震) – M 8.2〜8.5(Ms 7.2〜7.9、Mw 8.5Mt 8.6)、津波地震、死者・行方不明者2万1,959人
    • 6月16日 三陸沖で地震 – M 7.5 の地震が2回発生。明治三陸地震の最大余震[77]
    • 8月31日 陸羽地震 – M 7.2、死者209人。
  • 1897年(明治30年)
    • 2月20日 宮城県沖地震(仙台沖地震[100]) – M 7.4、地割れや液状化、家屋に被害。
    • 8月5日 三陸沖で地震 – M 7.7(Mw 7.8)、宮城県や岩手県で津波により浸水被害。
  • 1898年(明治31年)
    • 4月23日 宮城県沖で地震 – M 7.2、北海道から近畿にかけて有感、岩手県と宮城県の県境付近で被害。
    • 9月1日 石垣島東方沖(多良間島沖)で地震 – M 7.0。
  • 1899年(明治32年)
    • 3月7日 紀伊大和地震 – M 7.0又はM 6.9[80]、木ノ本・尾鷲で死者7名、三重県を中心に近畿地方南部で被害。深さ40〜50kmのフィリピン海プレート内の地震[101]
    • 11月25日 日向灘で地震 – 3時34分にM 7.1、3時55分にM 6.9。
  • 1900年(明治33年)5月12日 宮城県北部で地震 – M 7.0、死傷者17人、家屋などに被害。

20世紀前半

注: 2003年9月17日に気象庁マグニチュードの算出方法が改訂され、これに伴い1924年以降に発生したほとんどの地震のマグニチュードも改訂された(一部は先行して2001年4月23日に改訂)。このため、マグニチュードが改訂された地震については改訂前の値を括弧書きで併記している(例: 2001年3月24日 芸予地震 – Mj 6.7(旧Mj 6.4))。

1900年代
  • 1901年(明治34年)8月9日〜10日 青森県東方沖で地震 – 8月9日にM 7.2、8月10日にM 7.4。死者18人。
  • 1902年(明治35年)1月30日 青森県三八上北地方で地震 – M 7.0、死者1人。
  • 1905年(明治38年)
    • 6月2日 芸予地震 – M 7.2、死者11人。
    • 7月7日 福島県沖で地震 – M 7.1[102]
  • 1909年(明治42年)
    • 3月13日 千葉県房総半島沖で地震 – 8時19分にM 6.5、23時29分にM 7.5。
    • 8月14日 姉川地震(江濃地震) – M 6.8、死者41人。
    • 8月29日 沖縄本島付近で地震 – M 6.2、死者2人。
    • 11月10日 宮崎県西部で地震 – M 7.6。
1910年代
  • 1911年(明治44年)6月15日 喜界島地震M 8.0mB 8.1)、死者12人。
  • 1913年(大正2年)2月20日 日高沖で地震 – M 6.9(Ms 7.0)
  • 1914年(大正3年)
    • 1月12日 桜島地震 – M 7.1、死者29人。
    • 3月15日 仙北地震 – M 7.1、死者94人。
  • 1915年(大正4年)
    • 1月6日 石垣島北西沖で地震 – M 7.4。
    • 3月15日 北海道十勝沖で地震 – M 7.0、死者2人。
    • 11月1日 宮城県沖で地震 – M 7.5、岩手県や宮城県の沿岸に小津波。
  • 1916年(大正5年)11月26日 明石付近で地震 – M 6.1、死者1人。
  • 1917年(大正6年)5月18日 静岡付近で地震 – M 6.0、死者2人。
  • 1918年(大正7年)9月8日 択捉島沖地震M 8Ms 8.2Mt 8.5)、死者24人。
1920年代
  • 1921年(大正10年)12月8日 龍ヶ崎地震 – 千葉県・茨城県県境付近で発生。M 7.0。家屋倒壊、道路亀裂。
  • 1922年(大正11年)
    • 4月26日 浦賀水道地震 – M 6.8、死者2人。
    • 12月8日 島原地震(千々石湾地震) – 1時50分にM 6.9、11時02分にM 6.5。長崎県橘湾で地震、死者・行方不明者?人。
  • 1923年(大正12年)
    • 6月2日 茨城県沖で地震 – Mj 7.1[4]、千葉県銚子市で最大震度 4。
    • 7月13日 九州地方南東沖で地震 20時13分 – Mj 7.3[4] 深さ44km[4]。宮崎県宮崎市と鹿児島県鹿児島市で最大震度 4。
    • 9月1日11時58分頃 関東地震(大正関東地震、関東大震災) – M 7.9(Ms 8.2Mt 8.0Mw 7.9〜8.0[103]Mw 8.2[83])、関東地方南部と山梨県で最大震度 6。死者・行方不明者10万5,385人(1925年の調査では14万2,800人)[104](日本災害史上最悪)。
      • 同日12時3分頃 相模湾で地震 – Mj 7.3[4]、埼玉県熊谷市と山梨県甲府市で最大震度 5、大正関東地震の余震。
    • 9月2日 千葉県南東沖で地震 – Mj 7.3[4]、山梨県甲府市で最大震度 5、大正関東地震の余震。

 

少し引用が長かったですが、明治の熊本のM6.3の地震から、大正の関東大震災までの年表です。

明治時代は、熊本の地震から約7年後に三陸沖地震が起こっています。平成は、2011年3月11日東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)から約5年後に今回の熊本の地震です。順番は逆ながら、似たような間隔での地震発生でした。

そして明治の熊本と三陸沖の地震の間に、内陸地震では国内最大の地震と言われる濃尾大地震が起きています。

地震は連動している場合がありますから、このブログをご覧になっている遠方の皆様もぜひお気をつけください。