佐賀浜野浦の棚田で戦国時代を偲ぶ

この前の日曜日は、今年初めての産地の撮影へ。
今回は、上場(うわば)コシヒカリの産地、佐賀県の東松浦半島の上場台地を訪れました。撮影ポイントは浜野浦の棚田。日本の棚田百選にも選ばれている棚田です。

2013-05-26No(0127)

東松浦半島は海に面した小高い傾斜地であるため、豊臣秀吉の朝鮮出兵の折には、本陣である名護屋城が築かれた歴史があります。

豊臣秀吉は築城の際に、近江の国(今の滋賀県)の石工集団である穴太衆(あのうしゅう)の末裔を呼び寄せたそうで、この浜野浦の棚田の一部にも穴太積みの特徴が見受けられることから、土着した穴太衆の子孫たちによって代々築かれた石積みの棚田とも言われています。

お城の石垣もそうですが、石垣を積み上げるときに重要なのは排水だと、司馬遼太郎のエッセイで読んだ記憶があります。この排水がうまくいってないと、いつかは土の中の水に押し出される形で、内部から石垣は崩壊するそうです。

近江の穴太衆の「いい仕事」の代表格は、九州では難攻不落の熊本城が有名ですが、こういった棚田にもその技巧が活用されており、なおかつ水を張ってジャブジャブにする田んぼですから、水の問題に関しては、かなりの慎重さや困難さが伴ったのではないでしょうか。

いま現在も浜野浦の棚田は当時の姿を残しており、その頑強さをかんがみるに、全ての仕事が穴太衆でなかったとしても、職能集団による技巧が組み入れられているのは間違いないだろうと思います。

また、このような農耕地としては不適な急斜面ですら田畑に変えていこうとする発想や、それを可能にした技術の発展ぶりに、戦国時代の湧き上がるような時代の熱気を感じるができます。

2013-05-26No(0084)

現在の浜野浦の棚田は、展望台と駐車場完備で、写真のようにカップルが訪れるデートスポットにもなっています。そういった意味でも時代を感じますね。

この上場台地は、その地形上、基本的に棚田ばかりですので、撮影スポットは他にもまだまだあるのですが、夕暮れの写真を狙っていたため、駐車場完備のこの棚田を今回は選択しました。

他の棚田で撮影するとなれば、薄暗い中、カーブの多い傾斜地の路肩に路駐という形になりますので、もし追突されでもしたらいけないですし、田んぼのなかにガラス片でも入ろうものなら、米屋という職業柄、かなり申し訳ないことになります。

結局、夕日の写真は曇天が濃いため撮影できませんでしたが、この日の翌日は、九州で梅雨入り宣言。水を張ったばかりの水田を撮影するには、ギリギリの日程でした。

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日が沈んでからの棚田の様子です。
今までは昼間にしか訪れたことがなかった浜野浦の棚田ですが、この日は戦国時代から続く時の流れがグッと濃縮されたような空気感を感じることができました。

夕日の撮影はできませんでしたが了とし、この時期の夕日はまた来年狙っていきます。
それまでにもう少し、写真の技量をあげておきたいところです(^_^;)

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